スペシャル

アントニオ・カルロス・ジョビン

20世紀の頂点に立つ音楽家のひとりであり、ブラジルのローカル・ミュージックだったボサ・ノヴァを世界に広めた存在。それがアントニオ・カルロス・ジョビンだ。
「イパネマの娘」、「波」、「デサフィナード」、「ワン・ノート・サンバ」、「ハウ・インセンシティヴ」、「想いあふれて」、「コルコヴァード」、「三月の雨」・・・・彼が遺した名曲の数々は今なお世界中で楽曲が歌われ、演奏され、聴き継がれている。しかも2017年は、生誕90周年のアニヴァーサリーにもあたる。この天才メロディ・メイカーに対する再評価が、さらに高まるのは間違いない。
1927年リオ・デ・ジャネイロ生まれ1994年米国ニューヨークで死去。10代半ばからピアノや作曲を始め、50年代初頭からレコード会社のスタッフ兼ミュージシャンとして活動。58年にはブラジルの大歌手エリゼッチ・カルドーゾに「想いあふれて」を提供している。同年7月にはジョアン・ジルベルトがこの曲をギターの弾き語りでカヴァー、いわゆる“ボサ・ノヴァ第一号レコード”を生んだ。62年にはニューヨークの「カーネギー・ホール」で行なわれたボサ・ノヴァ・コンサートに参加して評判を高め、翌63年に初の自作自演アルバム『イパネマの娘』を発表している。ジョアンの妻アストラッド・ジルベルト、アメリカを代表するジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツと共演したシングル盤「イパネマの娘」(63年のアルバムとは異なるテイク)は64年、全米ヒット・チャートで最高5位を記録。65年には生涯初のグラミー賞に輝き、67年には少年時代からの大ファンであったフランク・シナトラとの合作『シナトラ&ジョビン』を制作している。その後もミウーシャやエリス・レジーナら、数々のシンガーとコラボレーションを展開。80年代に入ると息子や娘を含むバンド“バンダ・ノヴァ”を結成し、86年には来日公演も開催した。亡くなった時、ブラジルでは大統領令により国民が3日間の喪に服したと伝えられる。

ジョビン、ここがポイント
●夢をかなえた男
ブラジルにいた駆け出しの頃から、アメリカを代表する大歌手フランク・シナトラのファンだった。「僕の夢はシナトラに曲を提供することなんだ」。仲間たちは「夢が大きすぎる」と思ったらしいが、60年代後半のある日、シナトラから「君の曲を歌いたい」という連絡が。そして名盤『シナトラ&ジョビン』が生まれた。
●国際空港に名前を記す
若い頃は飛行機嫌いだったとも伝えられるが、ブラジル最古の航空会社“ヴァリグ・ブラジル航空”(2000年代に倒産)と提携して書いた「ジェット機のサンバ」は世界的な人気ナンバーとなり、ヴァリグの名を広く知らしめる契機となった。1999年にはガレオン空港が、アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港と改名された。
●各国語で歌われる名曲の数々
ジョビンの書いた楽曲は、ポルトガル語はもちろん、英語、フランス語、日本語などでも歌われている。アストラッド・ジルベルトが日本語で歌った「イパネマの娘」は、砂浜を歩くあこがれの女性を見つめる男性を描く原曲の世界観とは対照的に、「すてきな男性に恋してしまった」女性の視点による歌詞であるところもユニークだ。
●ピアニスト、ギタリストとしても抜群の才能
作曲家としての偉業にかくれがちだが、シングル・トーン(単音)を生かしたメロディアスなピアノ・プレイ、コード(和音)重視の歯切れ良いギター・プレイも、聴けば聴くほど味わい深いものだ。ヴァーヴ盤『イパネマの娘』、A&M盤『波』といったインストゥルメンタル・アルバムでは、その妙技をたっぷり味わうことができる。
●ファミリーや愛弟子による“継承”
94年に亡くなった後も、息子のギター奏者パウロ・ジョビン、孫のピアノ奏者ダニエル・ジョビンらが“ジョビン・ファミリー”を率いて活躍。最後期のバンドにいたチェロ奏者、ジャキス・モレレンバウムも幅広い活動を続けており、坂本龍一や伊藤ゴロー等、日本人ミュージシャンとのコラボレーションも数多い。

アントニオ・カルロス・ジョビンの作品